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大連の家庭料理

大連の家庭料理

R先生宅での打ち合わせが遅くなり、一緒に夕食をどうぞと招待を受けた。来た時、お手伝いさんが作っていた餃子である。いくつかの鉢に盛り分けられた餃子は「王将の餃子」より一回りも大きく、皮も厚い。もちろん水餃子である。(大連中山地区には王将の餃子が進出している)。これをにんにく入りの醤油ダレでいただく。聞けば、これが通常の主食らしい。以前、北京出身の留学生に作ってもらった餃子は、にんにくを使わず香酢で食べたが、大連ではにんにくを良く使うらしい。その他、大皿に盛られた蒸し鶏、煮魚などがテーブルに並んだ。これをみんなでつつきあいながら食べる。

食卓を囲んだのは、訪問者の我々2人とR先生、その他R先生の友人で夏休み中で帰国している日本のT大学で経済学を教えているr教授、W大学卒業後、日本からの留学でR先生宅にホームステイしているK君の5人である。K君は中国語がしっかり話せているようだ。通訳のG嬢を日本人と思っていたらしい。K君がいま通っている地元のT大学のOGと聞いて驚いていた。我々もこの先生宅で日本人留学生に会うとは思わなかった。

ビールで軽く乾杯後、r先生と2人で日本の留学生事情を話題に本場の白酒をストレートで“ぐびぐび”。ついつい時間の過ぎるのを忘れてしまうほど話し込んでしまった。

通訳のG嬢も市内から少し遠く、明日の朝のこともあるので、早々にお暇をすることにしタクシーでホテルへ向かった。

大連のタクシーは、道に出て流しを拾えるほど台数も多い。その多くがフォルクスワーゲン社のサンタナが使われている。ほとんど中古車と思われる。内装は日本ほどきれいにされているわけではない。結構、シートカバーも汚れ、クッションも悪い。運転手は比較的若い人が多く、日本のように高齢の運転手は見かけない。道が広いといいながらも運転は常に超スピードで追越し、追いつきと正直粗い。中国では普通、1人の場合、運転手の隣の助手席に乗り込むらしい。最近では後部席にも乗り込む人も増えてきたらしい。3月、北京を訪れた時に乗ったタクシーは、運転席が鉄の檻で囲まれている車が多く、お金のやり取りはその格子の隙間からであった。それだけ、安全策がとられているとのことであった。大連では、まだ治安がいいのか、北京で見たような檻つきのタクシーは見かけなかった。そんな発見続きで大連の初日を無事終えた。

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いざ大連へ

大連に降り立つ

連休を利用し3泊4日のあわただしい日程で大連に向かう。関西空港から空路で約2時間半、外気温24℃、秋の気配が感じられる大連周水子国際空港に降り立った。通関から荷物の受け取りまで距離が短く、約600万人の人口を数える都市の割にはコンパクトな空港である。通訳を引き受けてくれた大連出身で夏休み中の学友G嬢と彼女の伯母さんの出迎えを受ける。その伯母さんの新車で一路市内の中心部にある4星のホテルへ約40分のドライブである。道は広く、空は碧く高い。北海道をイメージさせる。車も多く、それぞれが先を急ぐように常に進路変更を行っている。交通マナーは日本とは比べ物にならないほど悪いが、その走りっぷりからも現在の中国の活力が感じられる。

早々にチェックインを済ませ、今回の視察先のコーディネートをしてもらうT大学のR先生のお宅を訪問する。まるでカーチェースしているような運転のタクシーで20分、運賃は24元(約380円、ちなみに初乗り運賃は8元)ほどの市内中心部からやや郊外に位置するにところにお宅はあった。T大学の学生が闊歩する界隈であった。先生のお宅はダイニング、3ベッドルーム、キッチンの100㎡ほどのマンションである。キッチンでは、お手伝いさんの婦人がちょうど夕食用の餃子を作っていた。

挨拶もそこそこに、大連市の福祉行政について簡単なレクチャーを受け、その後事前にお願いしておいた当方の希望にそって明日からの視察先の調整をお願いした。

正味で日曜日、月曜日の2日間である。いろいろと連絡調整をしていただいた結果、初日は、社区(コミュニティ)の暖巣管家(デイサービスやショートステイなど)、社会福利院(養老院)、小型家庭養老、夜は大連市民政局の幹部との会食という段取りである。2日目は大連市民政局、街道の居家養老(ヘルパーステーション)と利用者宅、民営の養老院、大学と連携している文化交流書院(滞在型シニアカレッジ)とかなり過密なスケジュールである。この全てに気心の知れたG嬢が通訳を買って出てくれた。

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日本と近い、大連

大連市の概況

大連市は中国東北遼東半島の最南端にあり、東は黄海、西は渤海、南は山東半島と海を隔てて向かい合い、北は広大な東北平野に隣り合っている。

大連は東北、華北、華東地域が世界各地と繋がる海上の門口であり、最も重要な港、貿易、工業、観光都市である。

冬は厳寒ではなく、夏は酷暑でもなく、四季がはっきりしている。年間平均気温は10.5℃、年間降水量は550950mm、日照時間は25002800時間である。

大連市は、1985年、政令指定都市に指定されたことで、省レベルの経済管理権限を持つようになった。 3つの県クラスの市(瓦房店市、普蘭店市、庄河市)、1つの県(長海県)と6つの区(中山区、西崗区、沙河口区、甘井子区、旅順口区、金州区)がある。

人口は580万人(市区は260万人)。2005年、全市60歳以上の人口は約83万人で総人口の13%を占めている、年3.2%の増加で2010年には100万人を数える。(参考:平成1710月大阪市の総人口264万人、65歳以上は51万人、高齢化率19.7%)

大連市は日本とは歴史的に関係が深く日清戦争と日露戦争の主戦場であり、約半世紀の間ロシアと日本の植民地にされ、日本が植民地とした歴史は40年間もある。市内には旧満鉄ゆかりの建造物や旅順には日露戦争の203高地や水師営会見所など歴史的な史跡も数多くある。現在も、開放政策の恩恵を受け経済発展が進み重厚長大の産業構造から北のシリコンバレーを目指し、IT化転換促進のため大連ソフトウェアパークにはソニーや松下など日本企業も多く進出している。また緑化政策による緑豊かな都市でありながら高層ビルが立ち並ぶ近代都市になっている。

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「銀髪浪潮」の中国

            _037                         中国は人口大国であるだけでなく、高齢者大国である。2000年の高齢者人口(60歳以上)は全世界で5億9千万人、中国は1億3千万人で22%と世界の高齢者の1/5を占めている。中国では60歳以上の高齢者をもって老人としている。その高齢者が総人口に占める割合が10%を占めている。世界の高齢化の指標とされている65歳以上では、7%となり、高齢化社会に入ったところである。このまま高齢化率14%の高齢社会へは19年から20年と予想され、日本の24年を上回る速さといわれている。ほぼ現時点でも日本の総人口に近い数の高齢者が存在する。さらに都市部では、農村比べて高齢化率はすでに先行し、上海では12%、北京でも9%を上回っている。

また、一人っ子政策を実施してきたため1980年以前に多く見られた3世代同居の大家族世帯は崩壊し、親孝行を柱とする「家庭養老」(日本で言う在宅介護)が限界に来ている。

Dsc00468 このようななか、中央政府は2000年に『社会福祉の社会化の促進に関する意見』のなかで「社会福祉の社会化」政策を打ち出した。その目標は2005年までに公的社会福祉施設をモデルとして、多種類の福祉施設を柱にして、コミュニティ(社区)を土台とした在宅養老を基本とする社会福祉サービスネットワークを作るというものである。社会化の具体的方法として、①投資主体の多元化(外資を含めた民間資本の活用)、②サービス対象者の公衆化(普遍化)、③サービスの多様化(複数のサービスメニュー)、④福祉人材の育成などである。

さらに2006年には『シルバーサービス業の発展の推進に関する意見』において社会資本が独資、合弁、合作、連携などの方式で福祉事業の振興を奨励することが明らかにされた。基本的には、政府の指導と政策の援助の下で、各組織によるシルバー産業の振興、市場主導を基本とする。

簡単にいえば、公金による基盤整備ではなく、民間資本を利用した基盤整備を積極的に進める方向である。

このような動きを受けて、遼寧省大連市では高齢化事業を積極的に展開している。

次回から先ごろ大連市を訪問して見聞きした福祉施策の現状を報告する。

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